あの頃の僕なら流さなかった。九種十牌に刻まれた、20年という月日。

麻雀(Mリーグ)

「先輩、あんなに麻雀にハマってたのに、もったいないですよ」

後輩に言われたその一言で、僕は自分がどれほどこのゲームに熱狂していたかを思い出した。
卒業から20年以上。元々はバレー部だった僕らには、お正月に集まってバレーをする「初打ち」という習慣があった。けれど、いつしか体育館へは行かなくなり、代わりに僕らは雀荘に集まるようになった。

コロナ禍を経て、僕にとっては6年ぶりとなった今年の正月麻雀。牌を握る指先が、懐かしい記憶を呼び起こしていく。

20年分の「イメージ戦略」

全6回戦。僕の結果は、1位・1位・2位・3位・3位・4位。
トータル+60ポイントほどで終了した。

久々のリアル麻雀としては、上出来と言っていい。

序盤の連勝が大きかったのはもちろんだが、高校時代から積み上げた「貯金」も効いていた。当時、僕がみんなに麻雀を教えたという経緯もあり、彼らの中で僕は「麻雀が強い奴」として定着している。
麻雀において「強いと思われる」ことは、立派な戦術だ。僕がリーチをかければ、彼らは警戒し、早めにオリを選択してくれる。イメージ戦略が生む心理的な優位が、僕のブラフや攻めを支えてくれた。
象徴的だったのは、親での連チャンだ。二翻縛りのルールの中、流局を挟みながら八本場まで積み上げた。ドラが一翻で通用しない縛りの中で、じっくりと手役を作り込み、リーチの威圧感で場を支配する。一発やツモの感触。ネット麻雀を毎日打っていても味わえない、指先から伝わるヒリつくような熱量が、そこにはあった。

僕はいつ、大人になったのだろう

しかし、そんな勢いに乗っていた僕が、ふと立ち止まった瞬間があった。
5回戦のオーラス。僕は4位のラス目、点数はわずか1万点台。親番で連チャンしなければ、そのまま敗退が決まる。
配牌を開けた僕の目に飛び込んできたのは、バラバラに散らばった一九字牌だった。

「九種十牌」

お正月、年に一度の旧友との対局、そして6年ぶりの参加。もしこれが10代の、ロマンを追い求めていた僕だったら、迷わず 国士無双 を狙って突き進んでいただろう。たとえ無謀だと言われても、役満という夢にすべてを賭けていたはずだ。

けれど、僕は静かに、九種十牌による流局を宣言した。

「ああ、自分は大人になったんだな」
心のどこかで、自分自身に驚いていた。着実に着順を上げるための、堅実で、現実的な選択。その後、僕は粘り強く連チャンを重ね、最終的に3位まで食い込むことができた。
最終戦で4位を叩いてしまったものの、トータルで勝ち越せたのは、こうした「押し引き」のメリハリがつけられたからだと思う。

夢中になれることの、幸福

今回の対局を終えてみて、成績以上に心に残ったものがある。それは、かつて僕が何かに狂ったようにのめり込んでいたという、確かな感触だ。

「あんなにハマってたのに」という後輩の言葉。
大人になればなるほど、損得や効率を考え、何かに無我夢中になる機会は減っていく。けれど、高校時代の僕らは違った。不器用なバレー部員だった僕らが、雀卓を囲んでいる時だけは、世界の何よりもその一局に情熱を注いでいた。

6年ぶりに戻ったその場所は、僕に「好きなことに夢中で生きる姿勢」を思い出させてくれた。
九種十牌を流す強さを覚えた今の僕も、悪くはない。でも、あの頃の熱狂だけは、心のどこかに大切に持っておきたい。
20数年続くこの「初打ち」は、単なる麻雀の場ではない。僕が僕自身の原点を確認するための、大切な儀式だったのだ。

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